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BitTorrentをプロモーションツールと考える著者たち

Head First Design Patterns (Head First)ファイル共有の広告効果を叫ぶ人たちは確かに存在する。しかし、そうした効果は一般化できるほどに肯定できるものではないし、かといって全くないと否定できるものでもない。それを判断するためには、そのものがどのような形態であるのか、そのための目的はどの程度達成することができるのか、という部分を考慮せずして語ることはできない、つまり、そうした効果は領域限定的なものであり、過度に一般化することも、過度に否定することもナンセンスだと思っている。

そんな前置きはともかくとして、O’ReillyのHead Startという書籍のシリーズの著者たちが、自身の書籍がThe Pirate BayをはじめとするBitTorrentサイトを介して共有されている、という現状をみずからの書籍のプロモーションになる、と考えているよ、というお話。

原典:TorrentFreak
原題:Book Authors See BitTorrent As a Promotional Tool
著者:Ernesto
日付:April 28, 2008

著作者たちは、海賊行為に対してそれほど過敏にならなくなったようだ。一部の人はむしろ、The Pirate BayのようなBitTorrentサイトに自らの本の海賊版が存在することを誇らしく思ってさえいる。特に本の著者にとっては、海賊行為は脅威というよりは、役立つプロモーションツールとなっているようだ。

ますます多くの著者たちがBitTorrentがより多くの利益を生み出す原動力となることを認めてきている。実際、彼ら自身の手で、BitTorrent上にそのコピーを無料でアップロードしていたりもする。

ベストセラー作家Paulo Coelhoは、BitTorrent上にある彼の複数の著作を紹介したことで、彼の著書の売り上げは非常に増大した。Coelhoの成功を受けて、“The Cult of Mac”、 “The Cult of iPod”の筆者であるLeander Kahneyは、同様の手法をとった

海賊行為の功罪に関する最近の議論を見ても、その態度に変化が見られている。Eric Freemanによって始められたO’Reilly Radar上の“behind the scenes” スレッドで、彼はこう述べている。

「Pirate Bay上でHead Firstシリーズ(大半がHFDPとかHTML)が人気みたいなんだがどう思う?私は、本がいまだに強い関心を持たれていることが示されているってことだと思うんだ。」

これに返答した著者たちのコンセンサスとしては、彼らの本がBitTorrentサイト上にリストされていることはよいことだというものであり、ともすればより利益を生み出すものだ、というもののようだ。

Nat Torkingtonは返信でこう答える。

「印税がたくさんもらえているうちは、BitTorrentは問題というよりは成功の兆候だね。賢い犬は、ノミに煩わされるようなことをさせない、ってね。」

Make誌のPhil Toreoneはこう付け加える。

「そうそう、Pirate Bayに自分の本/雑誌があるってのはいつだっていいことだよ。」

海賊行為は、音楽産業にとってのそれ以上には、出版業界にとってそれほど脅威とは見られていないようだ。Not Torkingtonが述べているように、大半の人々は依然として印刷されたものを好んでいる。「HFシリーズの書籍は、書籍であってこそより機能するもなんだから、Torrentはせいぜい、印刷された製品の優れた広告となっている、ってところだよね。」

ただ、大半の人々がmp3を好んでいるように、音楽にとってはそれは事情が異なるだろう。ファイル共有ネットワーク上にて提供される音楽は、iTunesのような音楽ストアを通じて入手できるDRMが施されたものよりも優れている。音楽産業にとって唯一残された選択肢は、消費者のデマンドを受け入れ、海賊との競争を行うことだろう。

関連した話題でいえば、当ブログにも寄稿してくれたMatt Masonの著書"The Pirate's Dilemma"が、BitTorrent上にリークされている。Mattがもうじき、公式の「フリー」バージョンがダウンロード可能になる、とアナウンスしている。ただ、彼がこの海賊版を共有する人々を気にするとも思えないね。

(Via O'Reilly TOC

確かに学習本のようなものは、印刷された媒体であればこそ、アクセシビリティが高いというところもある。もちろん、Webがいずれはそうした部分を乗り越えんとしているだろうとは思うけれど、依然として書籍として手元にあることがメリットであると感じている人のほうが多いだろう。

確かに私もたとえWebで見れる、知ることのできるようなコンテンツであったとしても、それを書籍として購入することもしばしばある。その辺はアクセシビリティの問題であったり、体系化の問題、またはアーカイブの問題であったりするので、絶対にWebに克服できないというたぐいのものではないにしても、現状では同等の価値をもたらすということは難しいのだろう。

Ernestoがすでに指摘しているように、確かにこれは書籍に限ってはいえることであり、音楽にはそのままあてはめることはできないだろう。少なくとも、書籍の場合には、書籍で物理媒体で購入するというメリットが存在し、それが多くの人々にとってメリットに感じられる、お金を出してでもその価値を必要とする人々が多いからこそ、上記のような考えに至ることができるのだろうと思える。

その一方で、音楽の場合は、海賊行為によって入手可能なものと、購入によって入手可能なものとが一致している、若しくは後者のほうが品質が劣っている、という構図にあり、単純にファイル共有が広告となりうるとは言い難い。そして、その海賊行為を塞ごうにも、多くの人に理解を得られる方法で、それを抑止する効果的な手段が見つかってはいない(少なくとも、私にとっては問題の多い方法によってそれを抑止しようとしているように思える。それゆえに、私は反対のスタンスをとることのほうが多い)。その点でも海賊行為を何とかするためには、それと競争することで、そうした状況を緩和する、ということもまた、有効な方策のように思える。

ただ、単純には広告としては考え難いということは考えているものの、そのような効果が全くないとまでは思っていない。もちろん、広範囲に一般化できるとも思ってはいない。しかし、ある人々にとっては、そうした行為であっても、役立つということはあるだろう。たとえば、自らの存在をより多くの人に知らしめたい人、自らの作品をより多くの人々の目に耳に触れさせたい人、そういった人であれば、その作品からの直接的、金銭的な利益がたとえ失われたとしても、それ以上のものを獲得するんだ、と考えるかもしれない。

しかし、それは違法ファイル共有によらなければならない、ということはない。むしろ、Creative Commonsのような枠組みのおかげで、そうした試みが合法的に可能となっている。そして、Creative Commonsライセンスのもと、自らのコンテンツを提供するアーティストがたくさんあらわれてきている。確かに、上記記事であげられた筆者たちは、違法ファイル共有ネットワーク内に自らのコンテンツが存在することを肯定的にとらえているが、そうした行為的反応が得られたもの、比較的ネットに対して理解ある人たちだった、という結果論でもある。一部の人がよいと言っているからといって、それを一般化することはできない。しかし、Creative Commonsライセンスの下、自らのコンテンツを(その人の定める範囲で)自由に利用してほしい、と明示的に宣言している人たちはみな、そうした利用を望んでいるのだ、ということは明確に言うことができる。お目こぼしであれ、積極的に肯定しているのであれ、そうした明示的に利用を許しているものでなければ、私は利用すべきではないと思っている。そして、明示的に利用が許されているものが存在しているのであれば、そちらをこそ積極的に利用すべきだと思う。

いずれは、Creative Commonsによって明示的、積極的に利用を促す人々の中に、こうしたプロセスを経て知名度を、人気を上げる人が出てくるかもしれない。そして、その中にはより商業的な方向性にシフトする人も出てくるかもしれない。ただ、そうなったからといってそれを裏切りだとか、意趣返しだというつもりもない。むしろ、そうしたアーティストが、Creative Commonsライセンスにおいてコンテンツを提供することによって、商業的な成功へのステップを一段上ることができたのだ、と好意的にとらえるだろう。

余談ではあるが、私はCreative Commonsライセンスをコピーフリーのために役立つツールだとは考えているが、コピーライツフリーのためのツールではないと思っている。確かに、ユーザにはコピーの自由が与えられるが、それでも各種条件が選択できるということは、著作権をフリーにするというものではなく、コピーライツコントロールをより柔軟にしているだけの、シンプルなものだと思っている。そして、Creative Commons自体、現行の著作権そのものを逸脱するものではなく、その範囲内で権利者、利用者間の同意をより簡便に済ますことができる、という点で優れている、とも思っている。

より簡便にはしてあるけれど、もう少し細かく決めたいよね、という権利者であれば、Creative Commonsライセンスに付加条項を加えるなり、Creative Commonsによらずとも、自らの権利を宣言すればよいのかなと思ったりもする。たとえば、一定期間の間だけ自由な共有を許諾したい、という時には、期限に関する条項を加える(Creative Commonsで可能なのかな?)とか、DRM等を利用して技術的にそれを解決するといった方法が考えられる(現行の支配的なDRMスキームが気に食わないのは、コピーコントロールではなくデバイスコントロールのために用いられているから、ということが強い。たとえば、レンタルやサブスクリプション、プロモーションのためのコンテンツに現行のDRM技術を用いるということに対しても、同様の不満を持っているわけではない。というか、DRMはそういった利用にこそ用いられるべきだと思っている)。

まぁ、何が言いたいかというと、いくらでもやりようはあるよね、ということであり、できる限りそれが合法的な手段によって実現されることが望ましいな、ってことかしら。

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