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Everything is a Remix:クリエイターのための知財改革と最良の実践

以下の文章は、TorrentFreakの「Thoughts on IP Reforms and Best Practices for Creators」という記事を翻訳したものである。

原典:TorrentFreak
原題:Thoughts on IP Reforms and Best Practices for Creators
著者:Ernesto
日付:February 26, 2012
ライセンス:CC BY

先日、映画製作者カービー・ファーガソンは、『Everything is a Remix』という4部作のドキュメンタリーを完成させた。このシリーズでは、我々の創作の相互結合性、そして現行法と規範がこの基本的な真実を捉えられてない現状について綴られている。このドキュメンタリーに対し、一部の視聴者から、ではどのような考え方が望ましいかという点について、この4部作では触れられていないとの批判が寄せられた。彼はこの場でその挑戦に応じることにした。知的財産権改革やリミキサーとクリエイター双方の利益となる最良の実践についての考えを明かしてもらおう。

先日、Everything is a Remixという4部作のシリーズを完結させました。一部ファンの方から、特定の方向性を示すことなくシリーズが終ってしまったことについて、批判が寄せられました。確かにそれはドキュメンタリーの一般的な終わり方でもありますし、そうした終わり方を期待されることも理解できます。しかし、2つほど、私がそうしなかった理由があります。

まず第一に、視聴者に歴史と文脈を伝えることが最大の目的であったことがあります。単に現状がどうなっているかではなく、なぜそうなっているのか、ということを伝えたかったのです。第二に、そのような終わり方は映画的でない(突然エンドロールが始まる)ように思えたからです。この話題は、オーディオ・ビジュアルとして扱うのは難しいと思っています。

これについて議論するには、ここで、文章で伝えたほうがよいのでしょう。ですから、この文章はEverything is a Remixの付録であり、私たちに今何ができるのか、どこに向かっていけば良いのかという点についての概観であると考えてください。ある部分では達成できるものであり、ある部分ではおそらく達成できない、それらを謙虚さを持ってお伝えしたいと思います。これは純粋な意見であり、議論の一部ではありますが、宣言ではありません。この話題を1年半にわたって、自分自身が持つテーマとして、そして創作のテクニックとして、追い続けてきた私が提供する、考える上での材料としてください。急ぎ書き上げたので、事実誤認や拙い議論があるかもしれませんが、そのときには誤りを指摘していただけると幸いです。

コピーライト・クラシック

厳しい現実ではあるが、大部分の作品がすぐさま価値を失う。大半の書籍、映画、アルバム、コンピュータ・アプリケーション、その他諸々のものは、関心を持たれず、そして使われない。それらは基本的に、読まれず、観られず、使われない。幾ばくかの観衆に出会える幸運な作品もあるが、そのほぼすべてが二、三十年の内に忘れ去られる。それ以降も商業的価値を維持できるのは、本当にごく限られた作品のみである。そして、現在の著作権法は、そのごく僅かな作品群のために書かれている。コピーレフト運動家はしばしば、これら作品群を「宝くじの当選者」と呼ぶ。

1976年以前、米国の著作権保護期間は28年間で、更新によってさらに28年の延長が可能であった。その後、2つの大きな変化が訪れた。初めに、保護期間を大幅に延長し、死後70年とした。次に、更新制度は廃止され、すべての権利者に最長期間の保護が自動的に与えられるようになった。いずれの変化も、宝くじの当選者だけを利するものであった。

死後70年間という著作権保護期間は、ほとんどすべての作品にとって、ひどく度を越した保護期間となっている。ローレンス・レッシグによると、1976年以前には、著作権者の85%が28年後の更新をしなかったのだという。つまり、28年の時を経て、彼らの創造の商業的価値は、ほとんど、もしくは全くなくなったということである。85%の権利者には、28年の保護で十分だったのだ。

もし、魔法でも使えるのなら、1976年以前の状態、28年間の保護と更新による28年間の延長という状態に戻すだろう。これで、殆どの作品は28年でパブリックドメインとなる。更新すれば56年間の保護期間を得ることになり、おそらく創作者の生涯を十分にカバーできるだろう。もし、このようなシステムのままであれば、20世紀に生み出された膨大な作品群が、自由に使用し、共有できるものとなっていただろう。そのような世界でのProject GutenbergやArchive.org、YouTube、Google Booksがどのようなものになっていたかを想像して欲しい。我々がこれまでに目にしたことのない、壮大なリソースとなっていただろう。

残念なことに、著作権保護期間の短縮は、まずありえないだろう。勝利が望めるとしたら、2023年の著作権保護期間再延長の阻止だろうか。間違いなく、ますます数を減らしている宝くじの当選者がロビイングを仕掛けてくるだろう。

アメリカ人なら、フェアユースを使おう

フェアユースは、論評、批評、教育などを目的とした作品の再利用を可能にするため、米国における著作権保護を制限する。とはいえ、訴訟を必ず回避できるというわけでもなく、コピーレフト運動家からはフェアユースを批判する声もある。残念ながら、これは真実である。フェアユースによる慎重な理論武装をしていたとしても、法廷に引きずり込まれる可能性はある。たとえ裁判に勝てるにしても、法廷闘争に数十万ドルもかかるかもしれないし、精神的な損害も計り知れない。

そこで、どこからがフェアユースで、どこからがフェアユースでないかという説明が必要になる。しかし、まずは、フェアユースは確実に、トラブルなく、日々絶えず行われていることを知っておいて欲しい。ニュース報道、ドキュメンタリー、デイリー・ショーを見れば、至る所でフェアユースを目にするだろう。耳目を集める訴訟は例外的なものなのだが、そうした報を見聞きするにつけ、フェアユースがいかに効果的で、強力であるかという点に影を落とす。(もしフェアユースによって裁判に巻き込まれることになったら、無償で弁護を引き受けてくれる公益団体があることを忘れてはならない)

最近現れている最良の実践のあり方とは、フェアユースがコミュニティに採用されたとき、どれほど強力でありえるかを実践することである。これに関する優れた(しかし日の目を見ていない)リソースとしては、パトリシア・オフデルハイデとペーター・ジャシのReclaiming Fair Useをお勧めしたい。これは偶然にもコピーライト運動の短い歴史の中に現れたものである。

米国外の方であれば、自国にはフェアユースがないと思われるかもしれないが、(訳註:米国ほどの)訴訟文化ではないという利点があることをお忘れなく。

de minimis法理の必要性

これはフェアユースがいかに強力な境界線を必要としているかを示す好例である。著作権法において、「de minimis」は著作権侵害とするにはあまりに軽微な使用について言及されているもので、そうした使用はフェアユースであると考えられる。しかし、奇っ怪なBridgeport Music, Inc. v. Dimension Films裁判によって、たとえこのde minimis法理があったとしても、曖昧さが残されることになってしまった。被告側が敗訴したこの事件では、NWAの「100 Miles and Runnin」の曲の中でFunkadelicの楽曲が2秒間、原曲を認識できない程度に使われていた。(そして、被告となったのは、NWAでも彼らのレコード会社でもなく、たまたま映画の中で楽曲を使用した映画配給会社であった。)知財デストピア時代の始まりを告げた裁判はと聞かれたら、まさにこの裁判がそれに当たる。公表された作品のごくごく小さな断片であろうと、あらゆるリユースに攻撃を受ける余地が残されたと言えるだろう。

我々は、著作権が適用されない、ある種の明確な基準を必要としている。録音された音楽なら2秒であるとか、映像であれば5秒であるとか。もちろん、何秒が正しいかという話ではない。こうした基準がどのような値を取ったとしても、意識にも登らない程度の使用すら著作権の保護が適応されうる状況よりは、遥かに良い状況だということである。

ソフトウェア特許、ビジネスメソッド特許の廃止

特許については、全く異なる産業を包括している複雑な領域であるため、ここではそれほど深く掘り下げるつもりはない。真の特許改革は、格差について触れる必要がある。市場に出すまでに10億ドルを要する製薬特許と、一個人が2週間で作り上げた目新しい発明に関する特許とでは、別に扱われなければならない。

シンプルに言えることは、ソフトウェア特許とビジネスメソッド特許(大部分がソフトウェアに関するもの)は、イノベーションのインセンティブになるものではなく、それどころかインセンティブを削ぐものとなっている。我々は、スマート・コンピューティングの領域における大規模な軍拡競争を目にしてきたし、現在、無数の中小企業が、特許で武装したパテント・トロールによって食い物にされている。ソフトウェア特許は「有益な文芸にの発展に資する」ものではなく、このような状態は改革ではなく、廃止を望むことが賢明であることは火を見るより明らかである。


Everything is a Remix Part 4 from Kirby Ferguson on Vimeo

Everything is a Remixのその他3エピソードはこちらから

著者について

カービー・ファーガソンは、ニューヨーク在住のフリーの映画製作者/作家/講演者で、Everything is a Remixの製作者である。彼は現在、This is Not a Conspiracy Theoryと題した自由かつオープンな政治ビデオシリーズの製作に向けて、Kickstarterでキャンペーンを行なっている。

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