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史上最大の海賊サイト、パイレート・ベイの9年間を振り返る

以下の文章は、TorrentFreakの「Pirate Bay Celebrates 9th Anniversary, a Brief History」という記事を翻訳したものである。

原典:TorrentFreak
原題:Pirate Bay Celebrates 9th Anniversary, a Brief History
著者:Ernesto
日付:September 15, 2012
ライセンス:CC BY

今日、パイレート・ベイは9周年を迎える。そこで、この類まれなるウェブサイトの足跡を振り返ってみよう。パイレート・ベイは友人同士の趣味のプロジェクトとして2003年にスタートし、そこからインターネット上で最大のウェブサイトの1つにまで成長した。パイレート・ベイは世界的なアイコンとなり、ハリウッドその他のエンターテイメント産業からは嫌悪され、その一方で膨大なファイル共有ユーザからは愛されている。

2003年9月15日、パイレート・ベイはスウェーデンの親文化団体Piratbyran(The Bureau of Piracy)によって設立された。

当時、スウェーデンにはファイル共有ネットワークがなかったため、Piratbyranは比較的新しいBitTorrentプロトコルを採用し、パイレート・ベイをローンチした。

当初、共同設立者のピーター・スンデ(Brokep)とフレドリク・ネイジ(TiAMO)、ゴッドフリード・ソヴァーソルム(Anakata)は、スカンジナビアのBitTorrentコミュニティを構築することを目標に掲げていた。

「その当時、Suprnovaという大手BitTorrentサイトはあったが、そこは世界中のコンテンツの集積を目的にしていた。僕らとPiratbyranはもっとスウェーデンやスカンジナビアのコンテンツを集めたかった。だから、僕らは大きな図書館を運営することにした。それがパイレート・ベイだよ」

その頃のパイレート・ベイのシステムは、お世辞にも優れたものとは言えず、極めて簡素なものだった。

パイレート・ベイのローンチ直後は、Anakataが当時勤めていたメキシコの会社のサーバーでホストされていた。

その2、3ヶ月後にはスウェーデンに移動し、TiAMOのラップトップ(Celeron 1.3GHz、256MB RAM)でホストされた。

パイレート・ベイのシステムは、トラッカー機能を含め、この1台に集約されていた。

パイレート・ベイのサーバー

しかし、サイトとトラッカーを維持するために更なるサーバー・パワーが必要とされるまでには、それほど時間はかからなかった。ビジターが増え続けたのだ。

サイト開始から1年後の2004年までに、パイレート・ベイのトラッカーは100万のピアと60,000以上のトレントファイルをトラッキングしていた。そして同じ頃、サイトの創設者たちは、パイレート・ベイにアクセスをしているのは、スカンジナビアのユーザだけではないことに気づいた。

実際、ユーザの80%はスカンジナビア以外の地域からアクセスしていた。パイレート・ベイチームは、世界的な人気をさらに加速させるため、サイトのデザインを一新した。そして2005年7月、複数の言語で利用できるようになった。

デザイン変更前のパイレート・ベイ

こうした変更により、パイレート・ベイの成長はさらに加速した。2005年までにパイレート・ベイがトラッキングするピア数は2,500,000にまで増加した。

パイレート・ベイの人気の増大にハリウッドその他が気づかぬわけがない。著作権者たちは削除通知の送付を開始した。一方、サイトの創設者たちはそうした通知をからかった。しかし、ハリウッドと米国からの圧力を背景に、パイレート・ベイは強襲された

2006年5月31日、設立から3年と経たずして、パイレート・ベイは強制捜査を受ける。65人のスウェーデン警察が、ストックホルムにあるデータセンターに立ち入った。捜査官の任務は、パイレート・ベイのサーバーをシャットダウンすることにあった。

パイレート・ベイ強制捜査の映像

サイトは3日間にわたってダウンした。しかし、3日後、パイレート・ベイは別の場所でホストされ、復活した。サイト運営者たちは淡々と、ハリウッドめがけて大砲をぶっ放す新たなロゴを掲げ、「ポリス・ベイ」を名乗った。その数日後、このロゴはフェニックスに差し替えられた。曰く、我々はデジタルの灰からよみがえった。

この強制捜査は、マスメディアでも大々的に取り上げられた。もちろん、わずか3日で復活を遂げたことも、その一因となった。このようなパブリシティにより、ハリウッドが望んだ結果とは真逆の現象が起こってしまった。多数のユーザがパイレート・ベイにアクセスし始めたのだ。

強制捜査後のロゴ

サイト創設者への捜査が続く中、パイレート・ベイは成長に成長を重ねた。2年以上の歳月を費やした捜査が終了した2009年初め、3人の共同創設者は実業家カール・ランドストロムと共に起訴された。

2009年4月、4人は著作権侵害を幇助したとして有罪判決を受けた。それぞれ懲役1年、罰金3,620,000ドルが科された。2010年の控訴審では懲役刑こそ減らされたものの、罰金は650万ドル以上にまで増額された。

一方、パイレート・ベイの資産は、サイトを運営していたセイシェルのReservellaという企業に移転された。

所有者が変わったパイレート・ベイには2つの大きな技術的変更がもたらされた。2009年秋、パイレート・ベイは悪名高きBitTorrentトラッカーを停止し、トレント・インデックスサイトへと姿を変えた。

そして今年初め、サイトの運営者は、一定程度のシードがあるトレントファイルを削除し、トレントファイルに代えてマグネットリンクへと移行した。これにより、第三者がパイレート・ベイの全データを保存し、ミラーサイトを運営することが極めて容易になった。

現在、パイレート・ベイはインターネット上で最も広く検閲されているウェブサイトとなり、こうしたミラーサイトが必要とされている。近年、デンマーク、イタリア、英国、オランダその他の地域のISPが、パイレート・ベイへのアクセスを遮断するよう法廷から命じられている。

しかし、パイレート・ベイは依然として存在している。

多数の訴訟、裁判所からのブロッキング命令、ストックホルム法廷での2つの有罪判決にも関わらず、パイレート・ベイはネット上で最もアクセスされるウェブサイト・トップ100に入り続けている。極めて稀有な存在といえるだろう。

では、パイレート・ベイの未来はどうなるのだろうか? 近いうちに、パイレート・ベイのドメイン名が差し押さえられたとしても驚きはしない。しかし、それによってパイレート・ベイが運営を停止するとも考えにくい。

これまでそうであったように、パイレート・ベイはファイル共有の不滅のアイコンとして、来年は10周年を祝っているだろう。

Happy Birthday Pirate Bay

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