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著作物の引用を禁ずることはできるか:アカデミックなケース

学術的な目的での著作物の引用は、フェアユースとしての利用が認められている。著作権そのものが文化の育成、保護を目的としているためである。しかし、一部の著作者や著作権団体は、それすら認めない場合がある。今回紹介する記事は、学術的な目的のために引用しようとしたところ、それに対して許可しないとした著作権者(今回の事例では著作者から著作権を相続した人)とその出版者と、引用を認めさせようとした人との裁判のお話。結果としては、後者の主張が通りそうになったので、前者が折れたという形になったようだ。

原典:Anthony Falzone's blog
原題:An Important Victory For Carol Shloss, Scholarship And Fair Use
著者:Anthony Falzone
日付:March 22, 2007
URL:http://cyberlaw.stanford.edu/node/5299#

昨年6月、我々はスタンフォード大学教授Carol Shlossが、Lucia Joyceの学術的伝記の執筆に関連して、著作物を使用する権利を確立するため、James JoyceとEstateを訴えた。Shlossは、Stephen James Joyce(訳注:Luciaの兄弟)によって10年以上にわたって脅迫を受けてきた。Stephenは、ShlossがJames Joyce(訳注:James Stephen Joyceの父)やLucia Joyceのいかなる目的で書かれたものであっても、引用することを禁止ずると主張した。この脅威の結果、原資料の多くの部分が、Shlossの書籍「Lucia Joyce : To Dance In The Wake」から削除されることになった。

我々がEstateおよびStephen Joyceを個々に訴えた裁判では、法廷に対して、書籍を補足するためにwebサイト上で削除された資料を公開する権利を明言することで、責任の脅威を排除するよう求めてきた。我々が本裁判を事物管轄権が欠如しているとして棄却を求めたことで、Estateは法廷闘争を断念した。JoyceとEstateは現在、我々と実施可能な和解協定を結んでいる。それは法廷が、電子的な形態であれ、印刷された形態であれ、補足部の公表に関して、Shlossに対する著作権の強制(訳注;つまり拡大解釈による制限)を禁じたことによるものである。

これは、Estateが過去に行った侵害に対する、注目に値する勝利といえる。しかし、Fair Useが理論上は保護を目的とするための保護であることを、明白に、具体的なものにするためには、まだまだ多くのことが必要になるだろう。我々はこのケースが、学者や研究者だけではなく、全てのクリエーターの(Fair Useの)権利を求める多くの裁判の最初の一歩となることを望む。

そもそも、著作権が存在する価値としては、文化に対する保護や育成があると考えられる。もし、著作権(特に財産権)が存在しなければ、優れた著作物を製作したとしても、それによって利益を上げられない。そうなれば、優れた著作者の生活を保障できなくなるため、優れた著作物が生まれにくくなる。それを防ぐために、著作物は著作権で保護される必要がある。

しかし、その保護にも限度はある。少なくとも、文化の育成や保護のために必要であるとされることに対しては、一定の配慮の元で制限されることになる。といっても、著作物を独占可能な商品としてしか見ていない人にとっては、そんなことはクソ喰らえってなもので、使いたいなら如何なる理由であっても使用料を払え、と考えるのだろう。

ある意味では、著作権の特権化である。もちろん、その特性上、独占的な権利を付与されてはいるがそれは特権ではない。しかし、著作権ビジネスが高度に発展し、それによって多くの利益を上げることが出来るようになったことで、その影響力、政治力は非常に大きくなっている。しかし、そのことは、著作権自体を拡大させるわけではない。もちろん、そのような運用がしやすくはなるだろうが。

私がこの件について思うことは、著作物が後世に継がれていくことが、その価値を残すということである。特にアカデミックな領域では、過去の成果や発見から、新たな発見を見出すことによって進歩を続けられるのである。ほとんどの研究は、7割の引用と2割のアイディアと、それによる1割の発見から成り立っている。ベースがなければ、何も発見することなどできやしない。

それは音楽などにもいえることで、そのもの自体の価値は時と共に薄れていくのである。しかし、その作品に対して、後世の人達が新たに価値や解釈を付与することで、またその作品は以前にも増して価値を取り戻す。

過去の遺産をもとにして荒稼ぎできる時代には、そんなことお構いなしでもよかっただろう。しかし、現在はその遺産すら使い果たしてしまっている。

関連リンク
レッシグ先生のブログ
Shloss対Estate of James Joyce:和解
Shloss:さらに追い打ち 部門より

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