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著作権保護期間延長問題:ビジネスの拡大という本音を隠されては議論は進まない

前のエントリに続いて、同記事より著作権保護期間延長について。これについても、依然として馬鹿らしい主張で、著作権の保護期間を50年から70年にすべきだと語っている。

原典:InternetWatch
原題:2006年度の音楽著作権使用料は1,110億円、CD低迷で減少~JASRAC  iPod課金の必要性や著作権保護期間延長を訴える
著者:増田 覚
日付:2007/05/16
URL:http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/05/16/15724.html

その論拠の1つとしては、あいもかわらず若くして亡くなった著作権者の遺族のため、ということを匂わせている。JASRAC会長船村徹は以下のように語る。

「私事で恐縮だが、昭和31年に親友で作詞家の高野公男を26歳で亡くしている。(高野氏とは)春日八郎の歌唱により大ヒットした『別れの一本杉』をともに作った。しかし、死後50年ということで、昨年で歌詞の著作権の保護期間が切れてしまった。そういうことからしても、もう少し早めに先進国並(の死後 70年)にしていれば、遺族のためにもいくらかお役に立てたと忸怩たる思いがある。後進のためにも、一日でも早く死後70年にしたい。」

これに関しては、以前に『著作権者の遺族は自立できないのか?』というエントリで述べた言葉を引いてこよう。

30歳で配偶者に死別され、その配偶者が主たる収入源であったとする。三田氏の主張は、死後50年では、残された配偶者がまだ生きているかもしれないではないかという。しかし、一般的に考えて、30歳で家計を支えていた配偶者に先立たれた人などたくさんいるわけで。死別してしまえば、それ以降の収入など見込めるはずもない。もちろん、多少の財産や公的な保護は残されるだろうが、少なくとも50年間の生活を支えうるくらいのものではない。普通のサラリーマンが30歳で亡くなったとしても、退職金や公的な保護などを考えても、5年、10年も持てば相当いいほうだろう。それでもそのような状況にある人は、それを乗り越えて生きている。一般的な感覚から言えば、死後50年も死んだ人の仕事でご飯が食えるなら、あまりに保護されすぎているじゃないかと考えてもおかしくはないだろう。退職金がないことを考えると、確かに死後も守られるべき部分はあるにせよ、それだって5年や10年程度で十分だろう。現行の50年でも相当な手厚い保護である。著作権は一般的な権利であるべきであり、特権ではない。

さらに言えば、一般的な人は定年が60歳だとして、約40年働くことになる。15歳で就職したとしても、最大で45年。少なくとも、それよりも長いわけで。人が一生で働く期間を超えてもなお足りないという。彼らの考える遺族像とはどんなものなのだろうか。

著作権者の遺族は、著作権者の死後50年、どう生きてきたのだろうか。もし、延長推進派の言うような人達が、著作権の保護期間が切れることで途端に困窮し、日々の生活にも困っているのであれば、同情して救ってあげたいという気持ちもわからんでもない。しかしそれ以上に、なぜ著作権が切れることを知りながら貯蓄もしていないのか、いつまでそれに頼っているのか、著作権者である配偶者または親御さんに恥ずかしくないのか、自立しなさい、と叱責してしかるべきだろう。本当に親友だったならね。

とはいえ、そんな遺族などどこにもいないだろう。彼らは彼らなりに自らの生計を営んでいるはずだ。もし、百歩譲ってそんな救いがたいダメ人間がいたとして、その人達を救ってあげたいというのであれば、それはてめぇのポケットから出せ、というお話である。

さらに百歩譲って、延長するにしても、彼らの理論で言えば一律死後70年ではなくてもいいわけである。そもそも、彼らの本心は死んだ親友などのごくごく一部の例をダシにして、それ以外の全ての著作物の保護期間を70年にすることにある。彼らは言わないけれど、結局は自らの組織への金の流れを維持したいのである。

いや、本当にご遺族のためなんです、というなら、「死後50年」か「公表後70年」のどちらか長いほうを保護期間とすればいい。彼らの本当の目的が遺族のためっていうならね。まぁ、死者や遺族をダシにして、あたかも彼らのためとしながら、自らの権利をこそ拡大しようというのが本音であるのは、誰の目にも明らかなのだけれど。

それ以外の延長賛成派の理由としては、創作意欲が高まる、文化の発展に繋がる、国際基準に合わせるべきといったものがあるが、どれも論拠に欠ける。創作意欲が高まるといっても、これだけ多くの商業クリエータが存在する中、延長で創作意欲が高まるとい主張しているのは、一部の利害関係のある団体の人達だけ。本当に創作意欲が高まるのであれば、多くのクリエータから声が上がってしかるべきだが、そういった声はこの活動で金が入る一部の権利ビジネスをしている人からしか聞こえてこないのである。

文化の発展については、文化の発展を妨げるという反対派の議論に対して、そんなことはないといっているだけで、決してその論拠を示しているわけではない。松本零士なんかは非常にくだらないことを言っていて、過去の作品の自由な二次利用が新たな創作を生むという意見に対して、 「古典と現代を混ぜてはいけない。近現代にあるものを改変したりパロディー化することは作品への侮辱。先人に学ぶというのは事実だが、学んだだけの敬意を払うべき」とわけのわからない論を展開している

この話は著作権者の死後50年の保護が妥当か、70年の保護が妥当かという議論であり、2次利用から生まれる文化が実際にあるからこそ、それを保護期間をどうすべきかという話なのであって、私は2次利用が嫌いだから許すべきではないという全くかみ合っていない主張をして何の意味があるのだろうか。また、なぜ近現代に限定させるのか、まったく理解できない。50年前に死んだ人と、200年前に死んだ人は何か考え方でも違うというのだろうか。何が侮辱で何が侮辱でないのかが年代で変わるというのだろうか。この延長する20年で、侮辱か侮辱でないかが変わるとでもいいたいのだろうか。少なくとも、彼らは金のためにこんなことを主張しているわけで、そんなわけのわからない論理で金を払わせろ、というのではあまりに横暴だろう。

最後に、国際基準に合わせるべきという主張は、今回の記事でも扱われていて、JASRAC加藤衛常任理事の発言では、

「海外では70年間、日本では50年間というギャップは、文化的な側面から見ても国際的なハーモナイゼーションを欠いている」

いや、別に海外にあわせなくてもいいし。むしろ、逆転の発想で、海外を日本に合わせるという考え方もできるんじゃないのかな?そっち方面で頑張れ。

さらに加藤常任理事は、 「日本だけが戦時加算を受けるのは不条理。JASRACでは著作権の保護期間延長を訴えているが、それとは別に独立した問題として、戦時加算の解消を求めてきた。次回のCISAC(著作権協会国際連合)では、(戦時加算が解消される)決議が行なわれる予定」と述べており、延長だけではなく、短縮についてもちゃんと活動しているんですよ、というアピールも忘れない。ただ、最大で10年縮まったとしても、その見返りに求めているのが20年の延長なのである。

そもそも、著作権保護期間を延長することが、どれほど彼らに利益をもたらすのだろうか。延長を求めるのであれば、そこをハッキリと明示すべきだろう。諸外国にあわせる、残された遺族のため、といった抽象的、感傷的な議論で話を進めているが、ビジネスのため、という本来の目的を隠したままでは、一向に議論が進まない。まぁ、議論をうやむやにして、議論は出尽くしたといってごり押しで著作権法を改正しようというのが彼らの狙いなのだろう。結局は金だ。そこには、アーティストのためとか、残された遺族のためとかいうたいそうな目的は微塵も存在しない。

このような主張の背景には、著作権ビジネスの成功によって、あたかも自らの創作自体が高尚であるかのような錯覚を起こしているようにも思える。ともすれば選民思想というヤツか。虎の威を借る狐よろしく、著作権ビジネスの肥大化に伴う金の力が、あたかも創作自体の権威を増しているかのようである。私などからすれば、そのような状態こそ、創作を貶めているとすら思えるのだけれどもね。現に著作権ビジネスの前では、創作が金儲けのための副次的なものと成り下がっているではないか。

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