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「それは音楽でなければならないのか」

前回のエントリの補足のようなものです。前回のエントリに以下のコメントを頂きました。

例にだしている評が一番言いたいのは、とくに物凄い趣味趣向をもっていないまさに浮動票の部分の牌の取り合い、競争力を持ちえなくなったと言うのが肝なんだと思います。それは質とかでなく、そもそも質を追い求めている層は元から音楽マニアでしょう。例えばゲーム。結局マニアックでゲームオタが求める質を追求し続けていったら、一般層、または浮動票が全くゲームに興味を示さなくなってしまった。ゆえにDSやらWiiなど、一般人が受け入れやすいものを作ることによってその浮動票の獲得に乗り出し成功した。野球とかもいつの間にか巨人好きとかいうエセ野球好きが、サッカー、メジャーリーグの台頭で潮が引くようにいなくなった。現代はそういうことが容易に起こり得て、それを固定していたテレビの力が物凄く弱くなっている。とかそういう問題なんではないでしょうか。

前回のエントリではあまりに熱くなりすぎて、この辺のことをきちんと明示していなかったと思うので、その辺について少し。

ここのコメントで言われている「浮動票」の存在こそがキーとなるのは間違いないのだけれども、私はその人たちをいつまでも「浮動票」のままにパイの奪い合いをしていては、確実に勝てないと感じている。それは私が引用したエントリの筆者も感じていることだと思う。

ただ、あのエントリを読んで私が感じたのは、負け戦の後でどうやって滅んでいくか、ということだけだった。筆者は(当初は)負け戦の後は滅亡するしかないという悲観的なビジョンを示しており、私にはそれが耐えられなかった。音楽産業が抱えている問題を整理することもなく、これまでのビジネスモデルが通用しなくなることが、音楽産業そのものの敗北である、私はそれはおかしいと思った。

前回のエントリはタイトルが拙かった部分もあるのだけれど、私が言いたかったことは決して「今の音楽オタクを大事にしろ」ということじゃない。「音楽ファンを作れ」ということだ。

私は10代のころから、疑問に思ってきたことがある。なぜ人々は音楽を「卒業」するのか、ということ。いつの時代も若者は音楽を好む。でも、いつしか音楽を能動的、積極的に聴かなくなる。なぜだろうかとずっと考えてきた。

それは若者である間だけ、彼らにとって音楽はコミュニケーションのため、ファッションのためのアイテムとなるからだ、と気づかされた。社会に出て行った人々が音楽を必要としなくなるのは、そのコミュニティでのコミュニケーションやファッションに音楽が入り込んでいないためなのだろう、と。そこで音楽がコミュニケーションのツールとして用いられるとしても、それはノスタルジーや当人が若者だった時代をアイデンティファイするためのツールとして用いられる。しかし、それでは「今、ここ」にいる人を「今、ここ」の音楽に向けることは難しい。

しかし、その問題はここに来て新たな問題を抱えることになる。若者の間でもコミュニケーション、ファッションのためのツールとしての機能が、相対的に弱まりはじめた。頼みの綱は着うたという、音楽を子供のおもちゃレベルに押し下げたもの。そういった方向性を模索すればするほど、音楽の存在価値が軽いものになる。ますます、代価ツールに追いやられていくことは目に見えている。

そんな状況になって、たとえ広告モデルを導入し、より手に入れやすくなりましたよ、といったところで、ユーザはそれを必要としてくれるのだろうか。「タダだから欲しい」んじゃない、「欲しいから欲しい」のだ。

私にとって質の高い音楽とは、時代を超えた価値を持つ音楽、である。決してクリエイティビティなものでなければならないとか、アートじゃなきゃいけないというわけじゃない。ポップでキャッチーな音楽が馬鹿げてて、難解で複雑な音楽こそ素晴らしいというつもりもない。どんな音楽であれ、リスナーがその曲を聴いて心地よい気持ちになればいいと思っている。

ただ、刹那的じゃいけない、その場しのぎじゃいけない。その時代にだけ共有される価値観を詰め込もうとしても、そのやり方はますます通用しなくなってくる。なぜなら、その価値観こそブランディングによるアイコン化の賜物なのだから。だから、時代を超えて価値が共有されない。もちろん、「若者の音楽はわからん」と年配者が言わなくなる時代なんて来やしないけど、若者と(1人でも多くの)年配者が共有できる価値を持つ音楽、それは絶対に不可能なものじゃない。

時代を超える価値を持った楽曲を作るのは、本当に難しいと思う。ただ、音楽産業はそういった環境を作り出すことができる。いや、そういった価値は音楽産業によってこそ作り出されるものだと思う。永遠不変の価値、そんなものは望みようがない。だけど5年、10年のスパンであれば、音楽の価値を継承し続けることは不可能ではないんじゃないかな。

「アーティスト」ではなく「音楽」をフィーチャーすること。それが私にとっての質の高い音楽が作り出される状況なのだと思う。「J-POPシーン」を「わけがわからないシーン」だとしたのは、それが音楽シーンとして機能していない「流行モノシーン」でしかないから。連続性のない流行モノが時代時代に点在している、それは音楽シーンじゃない。

私は前回のエントリで、リスナーにディスカバリーさせることが重要だと述べた。そのようなディスカバリーは、リスナーが流行モノとしてのアーティストではなく、音楽そのものを見ていないと成り立たない。音楽の糸を辿ることこそディスカバリーなのだから。なぜディスカバリーが必要なのか、それは音楽に対して根を下ろしていない「浮動票」を「音楽ファン」とするために必要不可欠な過程なのだから。

私がJ-POPシーンなるものをあまり好きではない理由としては、そこに溢れる大半のものが、このディスカバリーのための太い糸を持たないからだ。ヘビーリスナーの大半は、ディスカバリーを繰り返している。それは、その人々が聴いている音楽がたくさんの太い糸で音楽のネットワークが広がっているためだと思う(この辺の話は以前のエントリでも述べてきたことの繰り返しになるが)。

あぁ、そうか。私が思う質の高い音楽って、音楽同士の繋がりがある音楽なんだ。だからこそ、音楽としての価値を高め、時代を超える価値が生まれるのか。

「若者である間だけ、彼らにとって音楽はコミュニケーションのため、ファッションのためのアイテムとなる」、それは決して悪いことではない。むしろ喜ばしいことだ。たとえ今はヘビーリスナーの人だって最初はみんなライトリスナーだったはずだ。ただ、何かのきっかけで、音楽にハマった、音楽を買いあさるようになった、音楽をたくさん聴くようになった。でも、最初はみんな音楽のディスカバリーから始めたんじゃないだろうか。その瞬間に音楽に細い根を下ろしたんじゃないだろうか。

前回のエントリも今回のエントリも、何もヘビーリスナーだけで商売しろとか、ヘビーリスナーを作り上げようぜ、という類のものじゃない。むしろ、リスナーに音楽を向いてもらい、その中でもう1枚、もう1曲買ってもらうために、若者でなくなった人たちに、1枚でも、1曲でも買ってもらうために、音楽産業は、音楽シーンは、音楽はどう進むべきかという話だ。

私はこれを決して思考停止だとは思わない。たとえ、どんな素晴らしいビジネスモデルを構築しようとも、どんな素晴らしいサービスを展開しようとも、どんな優れたエクスペリエンスを提供しようとも、コンテンツを提供する以上、コンテンツに価値がなければならない。そのような価値をどのようにして創出すべきか、そんな話だ。

「関係性」に頼るやり方は下限はあるだろうけれど、ジリ貧なのは目に見えている。であれば、どんな価値を「一般のユーザ」に提供するべきなのか、それを考えずして未来を語っても仕方がない気がする。

「音楽を所有する」「音楽をエクスペリエンスのツールとする」、そんなインタラクティブな価値であっても「音楽でなければならない」というコアが存在していなければ機能しない。それは「音楽を聴く」という行為が、どこまでいってもパーソナルなものであるから。つまり、音楽を聴いて心地よい気分になるからこそ、その音楽を所有し、エクスペリエンスのためのツールとしての価値を見出す。

残念なことに、音楽産業はインターネットという強力なインタラクティブツールに「音楽」を組み込むのが遅れてしまった。しかし、幸いなことに人々はまだ音楽を音楽として好んでいる。であれば、そういった価値をいかにしてブーストしてやるかを考えるのも、コンテンツを扱うビジネスには必要な視点なんじゃないのかな。インタラクションは非常に強力な武器になることは私自身理解しているつもりだ。ただ、それをうまく機能させるためには、コンテンツそのものに価値がなければならない。

「一般の人に受け入れやすいもの」、そのような価値は決して普遍的なものではない。むしろ、状況が作り出すものだと考えている。「浮動票」を獲得することと、「音楽ファン」を増やすこと、これは決して相反することではないように思える。音楽チャートに名を連ねる多くの曲が、ライトリスナーもヘビーリスナーも同じく支持するような、そんな音楽シーンって無理なものかしらね。

うわ、今回もまた脱線してしまった。最初のコメントに話を戻すと、いかにして浮動票を獲得するか、という問題に現在ぶち当たっていると。しかし、その浮動票が求めるものは、エクスペリエンスであり、インタラクションであり、音楽はその機能を相対的に失っていると。だから、エクスペリエンス、インタラクションをさらに重視した戦略にシフトすると。ただ、私が思うのは、そのエクスペリエンス、インタラクションを提供するのが「音楽でなければならない」という状況でなければ、単純に縮小再構築するだけに過ぎないと思うのね。それもジリ貧の。

フェス、ライブが隆盛を迎えているというのもわかるのだけれども、それはそれを支えている人たちが、音楽を愛する価値観を有していながらも、パッケージによるエクスペリエンス/インタラクションではなく、フェス、ライブによるエクスペリエンス/インタラクションに魅力を感じているからこその話だと思う。

「それは音楽でなければならないのか」ということに向き合わない限りは、パッケージの魅力が失われつつあるように、いずれはフェス、ライブの魅力が失われていくのではないだろうかと私は考えている。つまり、浮動票だけを見越したビジネスは、少なくともこれまで一定の均衡の中で保たれてきた業界には、あまりに難しくなってくるのではないか、というのが私の考え。

音楽にそれそのものに価値を見出し、だからこそインタラクション、エクスペリエンスのためのツールとなる、そこを目指すべきだと思うよ。私は両者が独立しているものでも、相反するものでもないと考えている。むしろ、それは共存してこそなんだと思う。

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